天気の子ではラストシーンにおいて、いくつかの謎が残されています。
- 陽菜は最後に祈っていたのはなぜなのか
- 帆高のラストのセリフの意味とはなんだったのか
原作小説も読破した上で、これらの意味について考察してみましたので解説していきたいと思います。
【今年98本目】「天気の子」を見ました…賛否両論の後日談まではRADWIMPSのハンドクラップの優勝でした…ただ、最後の最後で最高のシーンがありました…これは誰の祈りの物語なのでしょうか?…東京が梅雨明けする前に見るべきという助言はたしかに言えてました… pic.twitter.com/PcEMpK2tRJ
— sora tob tanaka (@te_teta) September 9, 2019
天気の裏設定や考察に関しては「天気の子の裏設定や伏線回収一覧の考察」にてまとめていますので、ぜひこちらも合わせて読んでみて下さい。

ラストシーンの祈りの意味を考察
天野陽菜が最後に祈っていたのはなぜ?
そういえば天気の子でイマイチ消化できてないところがあるんだけど最初と最後の陽菜さんの祈りって何を祈ってんだろう???
— 誠 (@soa0831) August 14, 2019
天気の子のラストシーン。
最後に帆高が水没した東京を訪れ、ついに陽菜と再会することができますよね。
しかし帆高が陽菜を見つけた時、陽菜は晴れ女ではなくなったはずなのに相も変わらず空に祈っていました。
なぜ陽菜はこの時祈りを捧げていたのか?
気になるとの声がSNSでも多数あがっていました。
まず前提として、陽菜が天気の子としての晴れ女の力を失っているのは確実です。
「天野陽菜のチョーカー(ネックレス)の謎」でも解説していますが、陽菜のつけているチョーカーは母の形見で晴れ女の象徴としても扱われており、それがラストに帆高と戻ってきた際に壊れています。
作中では幾度となく「陽菜が空とつながっている」という表現がされていましたが、チョーカーが壊れたのは空とのリンクが切れたことも暗示しています。
さらに言えば、仮に天気の子としての力がまだ残っていたなら、帆高と再会する前のあの瞬間だけでなく、陽菜は何度となく晴れを呼ぼうとしていたでしょう。
そうすると東京が2年半止むこと無く雨が降り続いていたとする描写はおかしいです。
つまり陽菜は自分に力はなくなったことは分かっていつつも、自分のせいで降り続いてしまっている雨に責任を感じて毎日祈りだけでも捧げていたのでしょう。
「ナゾロジー」の天気の子考察、まあ面白かった。
— 88kazu88 HNFC09 (@88kazu881) October 13, 2019
まあ、童貞臭い(私の意見じゃないよ。)君の名はよりも、同調圧力を突破してる天気の子の方がずっと好きだというブログを書いている人もいたし、前から言われてたことを、キレイにまとめた感じだけど、最後の陽菜の祈りは、自分軸+他者の為と思うな~ pic.twitter.com/GhiETB3dz4
劇中でも陽菜は「私、この仕事好きだな、晴れ女の仕事。」と語っていました。
つまり
- 最後のシーンで陽菜はやはり天気の子としての力は失っている
- 祈っていたのは、力を失っていながらも晴れへの祈りだけは続けたいという気持ちがあったから
ということだったのでしょう。
陽菜の性格だったら、無駄かもしれなくともひたむきに祈りを捧げ続けていただろうなと思ってしまいます。
ラストシーンのセリフ「大丈夫だ」の意味を考察
RADWIMPSの曲とリンクしていた
帆高のラストのセリフ、「陽菜さん、僕たちは、大丈夫だ。」にはどんな意味が込められていたのでしょうか。
このセリフの意味は、エンディングテーマの「大丈夫」から着想を得たことが、原作小説のあとがきにて新海誠監督とRADWIMPSの野田さんの口から語られていました。
そもそも新海誠監督はこのラストシーンだけが思いつかず、ずっと悩んでいたそうです。
そんな時話にあがったのが、制作初期にメロディも歌詞もメッセージ性が強すぎるとして不採用としていた曲、「大丈夫」でした。
野田さんとの話の中で「大丈夫」の歌詞を再び目にした新海監督は衝撃を受けたそうです。
「全てここに書いてあるじゃないか!!」
僕はほとんど歌詞から引き写すようにしてラストシーンのコンテを描き、一年前に届いていた曲をそこに当てた。果たしてそうして見れば、それ以外は他に在りようもない、それがこの物語のラストシーンだった。
出典:天気の子原作小説
そこからはとんとん拍子にラストシーンが出来上がったとのことですが、ここで大丈夫の歌詞の一部を見てみましょう。
世界が君の小さな肩に乗っているのが僕にだけは見えて泣き出しそうでいると
「大丈夫?」ってさぁ 君が気づいてさ 聞くから
「大丈夫だよ」って僕は慌てて言うけど
なんでそんなことを言うんだよ 崩れそうなのは君なのに(中略)
君を大丈夫にしたいんじゃない。君にとっての「大丈夫」になりたい。
前半部分の歌詞は物語の中盤までの帆高の気持ちだと思います。
「世界が君の小さな肩に乗っている」のは陽菜が天気の子・晴れの巫女だった頃のことだと思うので。
そして後半の締めの歌詞がラストシーンの大丈夫に繋がっている歌詞ですね。
実際にラストシーンでも帆高は陽菜に大丈夫?と聞かれています。
陽菜「帆高っ、どうしたの?大丈夫?」
帆高「え?」
陽菜「君、泣いてる」自分の両目から雨のように涙が溢れていることに、僕は気づく。
君はなんて尊いのだろう、自分だって泣いてるのに。出典:天気の子原作小説
でもこのラストシーンの帆高はもう今までの泣いてるだけの帆高じゃないんですよね。
「君にとっての大丈夫になりたい」
陽菜への想いとともにこの気持ちが確信へと変わっていたラストの帆高は、ラストシーンでようやく陽菜へ向かって自信を持ってこう言えたのではないでしょうか。
最後のこのセリフは背が伸びたという外見上の変化だけでなく、帆高という主人公がこの物語を通して成長した内面を示した表現でもあったのだと思います。
まとめ
今回は天気の子の劇中で深くは語られなかったラストシーンについてその裏に込められた意味を紐解いてみました。
制作側の意図は
- 原作小説でのあとがき
- RADWIMPSの歌詞「大丈夫」
に込められていました。
興味のある方はこちらの全文もぜひ覗いてみてください。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
天気の裏設定や考察に関しては「天気の子の裏設定や伏線回収一覧の考察」にてまとめていますので、ぜひこちらも合わせて読んでみて下さい。

コメント
親のいない 頼るべき親戚もいない陽菜と 大学生になる帆高が 再開して
それで 大丈夫だと言う曲を流すのってすごいなと。
須賀さんが陽菜と凪の身元保証人になって面倒をみられているのかと
ほっておけない として帆高が事務所に連れてきた猫の雨が招き猫として 事務所に仕事を増やしたのかと。
なので須賀さんが陽菜と凪の面倒を見るのが可能で
貫禄ついた招き猫の雨を見たら その設定に違和感なくて
(猫の恩返しという話だったりして)
ほっておけない と思ったことですべてがうまくいって
ほっておけない が映画のメインテーマだろうなと。